何かが達成されようとする、その瞬間に① ～愛里の祈り～

最終節。
勝てば優勝。
引き分けでも優勝。

「だが、負ければ準優勝だ」トニーがウィギンスに説明する。「２位のハロゲートはきっと勝ってくるからな」
ウィギンスはトニーの甥っこだ。
昨年の夏に高校を卒業して、それから就職も進学もせずぶらぶらしている。
今日はトニーに誘われて、アウェイの地までハイドFCの試合を見にきていた。

「そうっすね」とウィギンスは気のない返事をする。
「どうだ、来てよかったろ。なんかわくわくするだろ」
しばらく考えてから、ウィギンスは答える。
「高校のとき、陸上部で長距離やってたの知ってます？」
「知ってるよ」とトニー。
「２年のとき、１年にスーパールーキーが入ってきたんすよ。すごくはやくてだれも追いつけなくて」
「ふむ」
「で、先輩のひとりが、びっくりした顔で『おまえ、そんなにはやく走ってどうすんの？』って。そのあと一瞬みんな固まっちゃって」
「んん？」
「われにかえった先輩がこう言ったんです。『やべえ、おれ陸上部の存続にかかわる発言しちまった』って」
「……それで？」
「それだけっす」
「……だから、なに？」
「なにって、なにが」
「いや、だから、なんなの？」
「なんなのってなんのことすか」
「落ちだよ。それ落ちてるかってこと」
ウィギンスは足元を見つめる。「なんにも落ちてないけど」

トニーが何か言いかけたところで、ハイドの先発メンバーが発表された。

安定と信頼の4-3-3ファルソ・ヌエベ。


試合前のチームトーク。これでほぼ全員のモチベーションが最高に。

いよいよキックオフだにゃ！

ふたりがいるのはスタンド席。
はやくゴール裏で応援したいトニーだったが――お客が少ないので席を移動しても問題なし――ウィギンスがそれを止めた。
「だから、だめですってば。無料招待券をわけてくれた女の子とここで待ち合わせてるんだから。せめて礼を言ってから動いてくださいよ」
「ぐ、おれにもう少し小遣いがあれば」
「しかし、ここ、気持ちいいくらいがらがらですね」
「うるせえ。文句あるなら、テレビでユナイテッド対シティでも見てろ」

しかたない。
気を取り直したトニーは、甥っこのために試合を解説してあげることにした。
しかし、その声は、より大きなだみ声にかき消される。
だみ声の主は、JK23（と呼ばれるとよろこぶベテラン記者）。
ふたりの席は記者席のすぐとなりで、JK23とは手がつなげそうな位置かんけいだ。

フットボールの取材現場には、たいていひとり、「解説くん」がいる。
試合中、プレス席でひたすら実況解説をしているタイプの記者である。
もちろん、仕事でやっているわけではない。だれかにお願いされたわけでもない。
心の奥底からマグマのように湧き出るなにかが、彼/彼女を実況へと駆り立てるのである。

とはいえ、つぎの条件に当てはまらない限り基本的に無害だ。

・声がでかい
・声がかん高い
・そもそも解説が下手
・その業界の有力な媒体に所属していて、だれも文句を言えない。

JK23の場合、このすべてに当てはまる。
なおかつ、なぜかいつも半身の体勢。
つまり真横を向いて実況する。
身体の向きはときどき変わるものの、となりに座った記者はとても悲しいことになる。
その日の被害者は、日本出身のスポーツライター、愛里・ハインツ・アドラーだった。
父がドイツ人、母が日本人。東京の高校を卒業して、オックスフォード大学で文学を学んでいたはずが、いまはこうして飛んでくるつばを必死にかわしている。
彼女は思う。
ほかのすべては許そう。でも、ひとつだけ。
解説中に自分のことをJK23と呼ぶのはやめてほしい。「JK23に言わせれば」というフレーズを何度も使うのはやめてほしい。
というか、意味不明なんですけど？

やがて、愛里は祈りはじめる。
お願い。
だれか言ってやって。
ジェームズ・カイル（JK23の本名）に、「解説やめてくれ」って。
お願い。だれか。
お願い。だれか。
言ってだれか言ってだれか言ってだれか言ってだれか言ってだれか言ってだれか言っ――。
「なあ、おっさん」とウィギンスがJK23の耳元で怒鳴った。「うるさいから実況すんのやめてくれる？！」
イ、イッターー！

開始７分、FWリース・グレイの技ありゴールで先制！
次回に続くにゃっ！