猫街221b - Football Manager -

ゲーム、本、音楽や映画。そこに日常のささやかなできごとを絡め、物語仕立てに書いています。いまは「Football Manager」というゲームのプレイ日記が中心です。

契約延長のゆくえ、ウィルコ、アイラブユーなんだぜ

ダウンタウン近くのコーヒーショップ。
窓ぎわの席で、スマートフォンをいじる若者がいる。
刈り上げた髪、マンチェスター・シティのTシャツ、benchのジーンズ。
ハイドFC優勝の瞬間にも居合わせた、あのウィギンスである。

からんころん。からんころん。
扉のカウベルが鳴り、入ってきたのはトニー。
注文もせずに、ウィギンスの向かいの席に腰を下ろす。
「よお、聞いたか?」とトニー。
「もちろん」とウィギンスはあくびをしながら答える。「奥さんに土下座してたって話でしょ。水曜に、練習場で」
「ばっ」声が裏返る。「ばか、その話じゃねえよっ! だいたい、なんでおれが土下座しなきゃならねえんだよ」
ウィギンスは窓の外を指さす。
「あれ、奥さんじゃないすか?」
「うおっ」
いすを蹴って立ち上がり、1回、2回と前転。店のカウンターに転がりこむと、ドラマ「24」のビッグポスターを背に半身の体勢をとる。
女性の店員が目を丸くする。
「ちょっ、お客さ――」
「ボギー(*1)はどこだ!?」
「あの、だからちょっと――」
「いまどこよ!?」
「いや、ほんと静かにしてく――」
「正確な位置情報を!」
「だから、うるさいって言ってんのよっ!」
「……ウィルコ(*2)」
そこで、ようやくウィギンスが声をかける。「あ、見まちがいだったみたいすね」

トニーはトールサイズのカフェラテを注文する。席に戻ってきても、まだ息が切れていた。
ウィギンスがスマートフォンをしまう。
「さっき最新ニュースきてましたよ。監督の契約延長、決まったって」
ああ、とトニー。そういえばおれはその話をしにきたんだっけ。
「よかったよかった。もめてたからどうなるかと思ったけど、ついに会長側が折れたか」
「いや、折れたのは監督のほうみたいで」
「そうなのっ!?」

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プロ化もなし。スカウト網の拡大もなし。曲げてはいけないところで曲げる。ゆずってはいけないところでゆずる。人間は弱い生きものですにゃ。

テーブルに身を乗り出すトニー。
人差し指をウィギンスに突き付け、きびしい口調で言い放つ。
「いいか。こうなったからって、『あんだけ偉そうなこと言ってたくせに』『うけるんですけど? ぷぷー』とか、そういうふうに考えるなよ。お前にはまだわからんだろうが、男ってのはな、理想とか夢とか放り捨てて、家族を守らなくちゃならないときがあるんだよ。シーズン開幕前のこの時期に無職になるより、この場にとどまって給料アップを選ぶ。それのなにが悪いんだよ」
「いや、思いっきり給料下がったみたいですけど」

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けっきょく、年俸は5000ユーロ。昨季の1万2000ユーロ(約150万円)から大幅ダウンしたにゃ。

トニーは身体をのけぞらせる。
「なにやってんのそれ! 年俸5000ユーロってお前、日本円にすると70万とかだよっ」
「円って……ああ、トニーさんの奥さん、日本人でしたっけ」
「いや、話は変わるけどよ。さっきの土下座の話? あれ、ジャパニーズ風どげざっていってな」
「はあ」
「アイラブユーって意味なんだぜ」
ウィギンスはスマートフォンを取り出し、操作をはじめる。
「やめようよそれ!」トニーが悲鳴を上げる。「なんでググるわけ? なんなの? おれがうそついてるっての?」
「あ、いや」とウィギンス。「LINEやってるだけっす」

コーヒーショップの横を猫さんがとぼとぼと歩いている。
10分ほどの前にきみとかわした会話を思い出し、ため息をつく。
プロ化も海外スカウトもあきらめる。それは、まあ、いい。仕事を失うのがこわいのはだれだって同じだから。
でもそこはあっさりあきらめておきながら……

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特別条項。違約金は年俸の10%(約7万円)

違約金についてだけは折れないって、どういうことですかにゃ。
たしかに、この契約なら、きみを引き抜くのに必要な額(違約金)は7万円。ビッククラブから見れば超お買い得だよ。
でも、それを認めてもらうためにお給料を半分以上減らしてどうするわけ? そもそも引き抜きなんてあるわけないでしょ。どうせ折れるならこっちを折れてよ。ほんともー。

にゃおーん、にゃおおーん。
悲しげな鳴き声がストリートに響く。
トニーは考えていた。
どちらにしても、この年俸はまずい。ありえない。
これで、あの監督、来年ほんとうに出ていってしまうだろうなあ。あの猫も、チャールトン・アスレティックがどうのこうの言ってたし。
おれ的にはずっと残ってほしいけど、まあ、そればっかりはさ、しかたねえさ。
どっちにしても、監督も選手もいつか去っていくんだよ。長い目で見ればファンだってそうだ。それはしかたないことなんだ。
大切なのは、ハイドFCというクラブが残ること。
「砂漠は生きている」って言うだろ? それと一緒だ。
ほんとうに生きているのは「クラブ」なんだ。
クラブが生き続けること、次の世代に受け継がれること、それがおれたち全員にとっての勝利なんだよ。

「なあ」とウィギンスに話しかける。
「なんすか」
「おれはもう行くけどさ、最後に、お前に聞きたいことがある」
画面から目を離し、
顔を上げて、
まっすぐな目で見つめ返すウィギンス。
未来と可能性を秘めたその瞳に、トニーはこう語りかけた。

ディ・マッテオって、『スーツ』に出てくるリック・ホフマンに似てなくない?」

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*1ボギー……軍事用語で「敵機」の意。この場合はトニーの奥さん
*2ウィルコ…軍事用語で「了解、実行します」の意。
(参考文献『フリンジマン』青木U平・著)