猫街221b - Football Manager -

ゲーム、本、音楽や映画。そこに日常のささやかなできごとを絡め、物語仕立てに書いています。いまは「Football Manager」というゲームのプレイ日記が中心です。

豆だいふくをめぐる冒険 punyu(上)

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半そでのシャツにさようなら。
長そでのうえに上着を着こむことにもなれてきた。
そんな秋の深まりとともに、あきらかになったことがひとつ。
それは、このチームが問題を抱えていること。
「問題」から生まれた波紋は、やがて不安の波へと変わり、チーム全体に広がっていった。

その正体についてはあとで語ろう。
(じつにフットボールマネージャー的問題なのである)
まずは、きみと猫さんのケンカだ。
ひどい言葉のぶつけ合い、とまらない責任てんか、そして涙。
仲直りはしたものの、そのあとすぐ、猫さんは寝込んでしまう。
身体をふき、動物病院でもらった薬を飲ませ、枕もとで看病するきみ。
ハイドは今日もあめ。マンチェスター近郊のそらは、暗く重い。
猫さんもめずらしく弱気だ。
窓辺で散る落ち葉をながめ、ため息をひとつふたつ。そしてつぶやく。
「豆だいふくが食べたいなあ……」
よし、まかせて。
きみは立ち上がる。玄関に向かい、靴をはきながら声をかける。
ダウンタウンで買ってくるよ。なかったらマンチェスターで探してみる。すぐ戻るから。
「ひばりが丘の〇〇朝日堂の豆だいふくが食べたい……」
ひばりが丘って、もしかして東京の?
「そこの店のねこ豆だいふくが食べたい……」
きみはうなだれる。
それは無理だよ。遠すぎる。シーズン中だし、そうじゃなくても猫さんを置いてはいけない。旅費もないし。そもそもねこ豆だいふくってなに?
猫さんは震える肉球で魔法の猫じゃらしをつかむ。
「いまからきみを東京に送るです。場所は……ひばりが丘駅の前。いい? 〇〇朝日堂の、ねこ豆だいふくだよ。くれぐれも気をつけて。あぶないと思ったら、すぐに飛ぶんだよ。
あぶないってなにが? 飛ぶってどういうこと?
へろへろっと猫じゃらしを振る猫さん。
やわらかでやさしい光が、きみの身体をつつむ。
えっ、ちょっ、準備が――。

きみは西東京市ひばりが丘駅北口に立っていた。
ビルのすき間からさす夕陽が頬を照らす。
フランネルのシャツにジーンズという格好。さいふも携帯電話もない。ぜんぶ置いてきてしまった。
持っているお金は、ポケットにあったしわくちゃの1ユーロ札だけ。
これで豆だいふくを買えるのだろうか。
いや、それよりも、どうやってハイドまで帰ればいいのだろう。

すこし、またすこし、夕闇が深くなってくる。
駅前の書店で〇〇朝日堂の場所を聞き、線路をよこぎる車道沿いに5分ほど歩く。
うなぎ屋、おでん屋の先に、その和菓子屋はあった。
安西水丸の絵のような、シンプルで、つきはなすようでいて、それでいて温かくつつみこむようなタッチの店構え。
すみません――。
きみの声を聞きつけて、店主が奥から出てきた。
がっしりとした体格の中年の男性。見るものを射抜く眼光、現場で生きてきた人間の威圧感。まるで、若いころにジャズ喫茶を経営し、バックパックで世界中を旅してまわり、その後世界的作家になった人間のような顔つきだった。
「いらっしゃい」お団子の入ったガラスケースに両手をつき、きみの顔をのぞきこむ。
あの、ねこ豆だいふくありますか、ときみ。
店主の目が光る。
用心深く左右に目を走らせ、声を落とす。「おまえさん、そのだいふくの話、だれから聞いたね」
ええと、すこし迷ってからきみは正直に答える。猫さんです。
そこで、店に置かれた黒電話が鳴った。

じりりりりん、じりりりりいいん。

店主が電話をとる。
会話の内容からさっするに、警察からの電話である。ぬすまれた車が見つかったという連絡。どうやら店主はミスター・マラカモという名前のようだ。

「あー、車には見たところとくに、その、被害はないということだ」とその警官はいかにも退屈そうに言った。「それはよかった」と僕は言った。それはまあよかった。
「じゃあですねオフィサー、僕がこれからそのエイボンという町まで、車を取りにいけばいいわけですね?」
「いや……、それがそう簡単でもないんだ、ミスター・マラカモ。あー、実はタイヤがひとつもない」と警官は(たぶん)鼻くそをほじくりながら、ちょっと思い出したように付け加えた。「それから、うーん、ホイルもひとつもない。エンジンもまったくかからない。だから取りに行っても持って帰れない」
それのいったいどこがとくに被害がないんだ *1

電話を切ると、ミスター・マラカモはえしゃくをした。
「すまんが、いっぽん電話かけさせてくれ」
ダイヤルをじーこじーことまわす、ミスター・マラカモ。
今度は保険代理店の女性と話をしているようだった。彼女によると、店主の本当の名前はミスター・モロカミとのこと。めんどうなので、モロカミのほうで覚えておくことにした。

おまけに不機嫌そうに眉間にしわをよせた代理店の女性は僕に「ミスター・モロカミ、車が発見されたその日を期限として、レンタカー料金はもうカバーされませんからね、あとは自前ですからね」と冷たく宣告した。「だってダイヤがひとつもないんだよ。それにあんたがリカバリー・レポートをなくしたおかげでまだ修理にかかれないんだよ」と僕は抗議する……(中略)……でも抗議は受け付けられない。だから僕はずっとレンタカー代を払い続けている。*2

受話器を置いたあと、しばらくのあいだ、ミスター・モロカミはじっと黒電話を見つめていた。
声をかけたほうがいいだろうかと思いはじめたころ、ようやくミスター・モロカミは顔をあげた。
「ついてきな」そう言って親指で合図をする。
あたりはすっかり暗くなっていた。
帰り道をいそぐ人々を横目に、ミスター・モロカミのあとについて店の裏手にまわりこむ。
そこには地下へと続く、長い階段があった。
「ここをおりるぞ」
ミスター・モロカミはいつのまにか古いランプを手にしていた。
地下はどこまでも深く、階段は無限に続いているかのようだった。ゆらめくランプの灯りを頼りに、どれくらい下ったことだろう。地上の喧騒も、ここまではとどかない。まっくらな大江戸線に吸い込まれていくようなふしぎな感覚。
きみには理解できなかった。
どうして和菓子屋の地下にこれほどまでに深い闇があるのか。

ふと気づくと、先を歩くミスター・モロカミの耳がおかしい。
階段添いのかべにうつし出された大きなかげ。
あたまのうえに、耳がふたつ、ぴんと立っている。
猫の耳だった。


*1、2
ともに『うずまき猫のみつけかた』(村上春樹・著)より引用